連載コラム私と音楽

●ジャズとオルガンとの出会い 第1章

2007年3月31日。
3年間、横浜ロイヤルパークホテルのロビーにて、
チェックイン チェックアウト時にソロピアノを演奏した。
ホテルの事情もあり、しばらく休憩となる。今日は、とりあえずピリオドを打つ日。
横浜は、懐かしい土地だ。高校生の頃、
逗子まで叔母である尾高節子氏の下にピアノを習いに通っていた。
「私は、将来必ず芸術家になる」と決めて、燃えていた頃。
あるレッスンの時、私がバッハの平均律を弾きおえた時
「あなたのバッハは、ジャズだわ」と言われ、ジャズって何だろう、
どんな音楽なのだろう、と興味を持ったのがジャズピアニストになった最初のきっかけ。
確か大久保駅にあった、日本ジャズ学校にジャズを習いにいったが
音楽大学を受験するのなら、今はクラシックに集中して、
大学に入ってからまたいらっしゃい、と言われた。
今思えば、いい先生だ。しかし、芸術大学はやはり狭き門。
一浪したが浪人中は益々ジャズが好きになり、
故黛敏郎氏のラジオ番組のアシスタントをしたり、
心は次第にクラシック一辺倒からいろんな方向にアンテナが立ち
芸大への夢は諦め、早稲田大学文学部に入学。と同時に
大学の公認団体である「モダンジャズ研究会」に所属。
オーデイションに芸大受験曲だったショパンの木枯らしのエチュードを弾き
「お前、指動くじゃん。今日から仕事行って来な」と有難いお言葉を頂き、
右も左もわからないまま、キャバレーハリウッドの忘れもしない
大漁歌いこみの掛け声をかけながらのヌードショーのバック演奏が
始めてのお仕事となり、その日からクラシックからは遠ざかり
ひたすらピアノ弾きとなっていくのだった。 (2007/05/20)

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